鎌倉五山「浄智寺」
1281年、今から約740年前、鎌倉幕府第5執権 北条時頼の三男、北条宗政が亡くなった折その菩薩を弔うために創建されました。当時は中国からの渡来僧も多く、現存する鐘楼門や本堂の様子は「宋風」という中国の様式をうかがうこともできます。
「物語の中の浄智寺」そこは、まるで物語の世界へ足を踏み込んでしまったような異世界の様にも思われるほど、どこか懐かしく、あたたかく・・。ゆったりとした時の中に身を置いているとすーっと心が洗われてきます。
そんな情緒ある美しい「浄智寺」は、様々な映画やドラマの舞台にもなっております。そして、数々の文豪もこの鎌倉を愛しており、川端康成、中原中也は転移。夏目漱石、与謝野晶子、芥川龍之介も鎌倉をよく訪れておりました。
鎌倉五山第四位 臨済宗円覚寺派 金寶山浄智寺
1281年創設、臨済宗円覚寺派 鎌倉五山第四位 浄智寺の公式サイト。本尊は神奈川県の重要文化財に指定された木造三世仏坐像、境内には鎌倉七福神の一つ布袋尊も祀られています。四季折々の自然、拝観情報、アクセス、文化財などをご案内しています。
鎌倉はなぜこんなにも人を惹きつけるのか
夏目漱石や芥川龍之介、川端康成などの文豪たちが鎌倉に来たのは、偶然でもおしゃれな街だったからでもなく、鎌倉という地域が武家文化を精神的にも高めた日本ならではの「禅宗の聖地」だからです。
「禅宗」とは、自らの心を鍛えて悟りを開くことを目指す一宗派です。禅宗がやってきたのは鎌倉時代。鎌倉第8代執権 北条時宗は、幼少の時から禅の修行をしていました。心の拠り所は禅の教えでした。その頃、武士の一族や自らの土地を守るために勢力を増していて、自らの鍛錬によって心を鍛えるという部分が武士勢力の気風と禅宗とがマッチして武士の間で禅宗が広がりました。
「わずらい、なやむなかれ」
人間はあれこれ考えすぎるとその度に執着が増して不安や恐怖が増長していきます。そして、それはとめどもない苦しみとなってきます。
文学作品・・そこには、幸せに暮らすヒントが隠れているかもしれません。