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日本語で「星の王子さま」を語る上で大切なポイントは、自分や相手の呼び方と年齢想定にある

制作ノート

サン=テグジュペリの名作「星の王子さま」を【語り劇】脚本に

文学ライブ 語り劇!小河知夏劇場 脚本・演出担当の富田剛史です。作品の脚色や演出について、(ややネタバレもありますが…)制作者の見方や思いを綴っている「制作ノート」、今回は、ファンタジー文学の傑作、「星の王子さま」。原題:Le Petit Prince(英:The Little Prince)。今後、朗読でも演劇でも映像でも…何かでこの作品に取り組もうとする未来の人にも、参考になったら嬉しく思います。

原作はフランス人の飛行士・小説家のサン=テグジュペリの小説で、1943年(昭和18年)にアメリカで出版され、以来200ヶ国以上の国と地域で翻訳される永遠の名作。

小河知夏劇場では、翻訳研究者・翻訳家の大久保ゆうさんの「あのときの王子くん(青空文庫)をベースに、 1953年に出版されたおなじみの内藤濯(あろう)さん訳も参考にし、主要シーンは英語の「The Little Prince」も参考にしつつ、トミタが小河知夏劇場独自の「語り劇」として脚本化しました。

「星の王子さま」に限らず、海外作品を日本語化する最重要ポイントは、「一人称」「二人称」にあると思う

海外の作品を日本語にする場合、最も重要なポイントは「一人称」「二人称」にあると私は思います。平たく言うと、自分を何と呼び、相手をなんと呼ぶかです。

英語ならみんな、IとYou。
他の言語は良く知りませんが、日本語ほど多くの一人称、二人称があり、そのニュアンスが細かく違う言葉は珍しいのではないでしょうか。

自分や相手を呼ぶ言葉にどれを選ぶかで、物語の格調や登場人物の性格、互いの関係性などがほぼ決まります。「語り劇版 星の王子さま」では、おなじみの内藤さんや大久保さんの訳とは変えて、飛行士の一人称は「私」少年のことを物語る呼び名は「王子」とし、二人が直接会話するときには「オレ」と「きみ」としました。

また、キツネは自分を「オイラ」といいヘビは王子に「お前さん」と呼びかけます。言葉遣いもそれに準じて変えています。呼称と言葉遣いの効果を感じてみてください。

ちなみに、昔からの内藤訳「星の王子さま」では、飛行士の一人称は「ぼく」少年は「王子さま」と語られ、直接会話ではお互いに「ぼく」と「きみ」と呼び合います。
大久保訳の「あのときの王子くん」では、飛行士の一人称は「ぼく」少年は「王子くん」と語られ、直接会話では飛行士は少年を基本的に「ぼうや」と呼び、少年は飛行士を「きみ」と呼びます。

それぞれ、だいぶニュアンスが違うと思いませんか?

王子…少年が何歳と想定するかで、「星の王子さま」の物語の性質が大きく変わる

ここで、どの言葉を選ぶかは、飛行士と少年の年齢設定によるでしょう。トミタは飛行士は30代、少年は12歳くらいを想定しています。「ぼうや」とか「ぼっちゃん」よりもう少しオトナな年齢です。

朗読でも演劇でも、「星の王子さま」の日本語作品ではちょっと想定年齢が低すぎるような気がします。その原因は主に、「星の王子さま」というタイトルにあるのかもしれません。

「星の王子さま」のタイトルは内藤濯さんの創作で、この題が無かったら日本でこれほど人気を博していたかと思う名コピーですが、原題は「Le Petit Prince」で、英語の「The Little Prince」をはじめ各国語そのままのニュアンスで、中国語ですら「小王子」です。

自分の新訳でタイトルを敢えて「あのときの王子くん」と変えた大久保ゆうさんが指摘する通り、日本だけの「星の王子さま」という飛躍解釈のタイトルは”別のニュアンス”を強く刷り込みます。それが、多くの人が王子を”小さい子キャラ”にしてしまう理由でしょう。

そこで、大久保ゆうさんは、原題の「Le」という冠詞のニュアンスを生かしつつ意訳した新タイトルとして「あのときの王子くん」としたわけです。なるほど~、と感心しました。

ただ、(決して文句ではありませんけど…)その「王子くん」という言葉に、やはり子ども向けのニュアンスが残っているのでは…とも思いました。要するに、王子の年齢想定です。

トミタはそこで、大人が簡単に「よしよし」できない年齢でなければ、この物語の不思議な感じが出ないと思ったわけです。初めは「ちょっとアタマの弱い少年」くらいに思っていたであろう飛行士が、だんだん「半信半疑」となり、終いには自分で不思議なくらい「魅了」される…そのニュアンスが。

飛行士自身は、もう青春期も忘れかけている30代の大人。自分を「ぼく」などとは言いません。少年を追想するときは、一種のあだ名として「王子」と呼びますが、二人の会話では「オレ」と「きみ」という距離感。
少年は、思考的にはすごくオトナ…しかし「ティーン」の自意識ではなく神の使いのような純真さもある…そんな11~12歳。
小学校5~6年から中1あたりの頃を思い出してみてください。

まぁ、あくまで「想定」です。
どこにも書かないし、説明もしませんが、この「想定」が演出の基本で、これで二人の関係が決まります。

この年齢とキャラ設定をした上で、タイトルは「星の王子さま」をそのまま使ったほうが、大久保ゆうさんが伝えたかったことがかえって伝わるのではないか… そんな風にも考えました。

「Le Petit Prince」は最高のファンタジー! では「ファンタジー」とは、日本語ひと言でいうと何でしょう?

大久保ゆうさんは、「この作品はファンタジーではない」と書かれていますが、それは「子供向け童話ではない」というニュアンスでしょう。

では「ファンタジー」は日本語ひと言でいうと何でしょうか?

辞書的には、「幻想」「空想」「夢想」「超自然」といった言葉で説明しますが、どれもしっくり来ないと思いませんかませんか? それじゃなんだか人間の思惑が前提みたいで。

ぼくは、「ファンタジー」に不思議という言葉を当てます。

「よく分からないけど確かに感じられること」といったものです。

不思議の対義語は、辞書的には「当然」や「日常」などのようですが、僕は「科学的」ではないかと思います。この物語が書かれた当時、第二次大戦に向かう頃、人類は何でも科学で答えが出せると過信し始めた頃です。

冒頭の前書きにある通り、サン=テグジュペリはこの作品を、大人に向けて捧げています。子どものときは当たり前の「不思議」を、無いものにしようとしてる大人に向けて。

当時以上に科学を過信する現代、そのメッセージはより重要な意味を、年々強くしています。

ですので、「星の王子さま」を語るには、不思議を不思議のままにしておくことが何より大切です。

  • 少年は本当に遠い星から来たのか…
  • 蛇とは、キツネとは、バラとは何者なのか…
  • 砂漠でのラストシーン、王子がどうなったのか…

それらの問いに、「答え」はありません。あってはなりません。

「答え」のように感じられてしまった瞬間に、それは「失敗」といっていいでしょう。

砂漠のクライマックスシーンは、ベタつかず、しかし様々な感情をマックスにぶつけ合い、砂漠に吹く乾いた風とフラッシュのような眩い閃光が見えたら最高です。

小河知夏劇場の文学ライブ「語り劇」版『星の王子さま』
「星の王子さま」ファンのあなたにも、読んだことのないあなたにも、いつかぜひ見てほしい作品です。

2023年春、オンラインでは月イチZoom劇場で4月と5月の二回に分けて、実会場では群馬県の前橋文化会館で上演しますので、ぜひご覧になってみてください。

▼対面上演@群馬県 前橋文学館

▼オンライン上演@Zoom

とみたつよし
文学ライブ 語り劇
小河知夏劇場 脚本・演出

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