小河知夏劇場版 芥川龍之介「蜘蛛の糸・杜子春」無事に終演いたしました!!ありがとうございました!!全身全霊を賭けて語りました!!その甲斐あって「怖かった!!」「大迫力!!」「感動しました~!!」「動と静のコントラストが素晴らしかった!」「しばらく現実世界に戻ってこれなかった・・」「何度も本で読んだはすなのにこんな感情になったのは初めて・・」と大反響をいただきました!
語ってみて分かりますが、こんなにも人間の内側の闇の部分、世間体、怖さ、悲惨さ、そして温かさを情景・情感豊かに作品に残した人はいないのではないでしょうか。綺麗さも醜さも両方あるのが人間。犍陀多も杜子春も、わたしには共感できるところがたくさんあり、そう思っている人はたくさんいるのではないかなと思うのです。
杜子春が伝えたいこと
お金持ち(ボンボン)だった杜子春が洛陽の西の門で空を眺めていると「お前は何を考えているのだ」と片目眇の老人が杜子春に語りかけるこんな台詞があります。これは、まるで自分自身に問いかけられているような気さえします。お前は、今どう思っているのか、どうしたいと思っているのか、どんな人間になればいいと思っているのかと。最後、杜子春は言います「何になっても人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」と。
私は、この作品から「自分に正直に暮らせているか」「大人だから仕方がないと自分の気持ちを欺いてはいないか」そんなことを語りかけれているような気がしました。何が大切かを知り、自分に正直に生きている人間は晴れやかな顔をしています。そして、とても幸せな顔をしていますね。
蜘蛛の糸が伝えたいこと
今回、語ってまた1つ気づけたことがありました。小学校1年生の時初めてアニメでみた蜘蛛の糸。7歳の私は「自分が犍陀多だったら同じこと思っちゃうかも・・」と眠れなくなった記憶があります。究極の場面で「一緒に登ろう!」と言えたら極楽に行けるんだ!!と思っていたのですが、大人になり、子どもを産み大切な家族ができると、例えば戦争中、相手国が攻めてきたら私は家族を守るために人を殺すこともあるかもしれない。お腹が空きすぎて人の目を盗んで食料を盗んでしまうことがあるかもしれない。蜘蛛の糸が切れそうな時助かるために「下りて!」と叫んでしまうことってあるんじゃないかなと。そしたら地獄へ行ってしまうの?と年を重ねるほど正解はなんだろう?と思うようになりました。でも、極楽へいくことがゴールではなく、極楽へ行ったら幸せになれるではなく、みんなで上へ行こうと心の底から思えたその気持ちが極楽(幸せ)なのかなと思うようになりました。
語り劇だからこそ見える世界
本には活字で書かれていないことがたくさんあります。それを『台詞』『表情』『間』で臨場感たっぷりに伝えるのが語り劇です。だからこそ、現実世界にあったように頭の中に映像が浮かびます。とてもリアルに。観劇したお客様はしばらく現実政界に戻ってこられないくらいです。そして、日々の暮らしの中で、あのときの台詞はこういうことだったんだ・・あのシーンではこのことを言っていたんだ・・と物語の世界と現実世界が繋がっていきます。きっと、語り劇を観たあとに本を読むとそれまで気がつかなったことがいろいろイメージとして入ってきてまた楽しめます。
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