小河知夏劇場の脚本・演出を担当する、トミタプロデュースの富田剛史です。
2023年8月20日、群馬県の前橋文学館で小河知夏劇場の新作語り劇「山月記」を上演します。この作品を制作するにあたり、僕が大好きな絵のひとつ葛飾北斎の「月見る虎図」がとてもインスピレーションを与えてくれました。今回はその話を書き留めておきます。
あなたならこの小説に「山月記」というタイトルを付けますか?
教科書にも長年出ていたので、中島敦の「山月記」は多くの日本人があらすじを知っている超有名作品です。
非常に簡単にいいますと・・・中国・唐の時代、元々超優秀だった主人公の李徴は役人として働くのが馬鹿らしくなって詩人として名を残すことを目指すが、結局芽が出ず発狂してなぜか虎になってしまいます。山奥で人食い虎として恐れられていたところに、たまたま学生時代の友の袁傪(えんさん)が出世した姿で通りかかり、声で旧友李徴だとわかり、李徴も余りの懐かしさに姿を見せぬまま昔語りを始めて・・・というお話。カフカの「変身」みたいな不条理な変身ものですね。
「山月記」というタイトルは、物語の終盤で虎になった李徴が即興で詠む漢詩などから来ているわけですが、それにしても自分だったらそのタイトルをつけるだろうか?と考えると、別のタイトルを付けそうです。
しかし、この作品が語り継がれる名作となったのに、タイトル「山月記」が大きく寄与していることは感じられます。「山」は人里離れた場を、「月」は自らの心を映す鏡を表しているのでしょう。そして「記」。記しているのは、李徴か?袁傪か?それとも神様視点での作者か・・・。
「山月記」は明暗を分けた二人の男の違いを描いた作品…と受け止めがちですが、実は他者との関係ではなく友の来訪により自らを見つめ直していく李徴の心の動きを描いた作品なのでしょう。
虎になった李徴は不幸の象徴なのか?
普通に考えれば、友の袁傪は出世し、李徴は虎になり、その後人間として生きることはない…という終わり方ですから、袁傪は幸福/李徴は不幸、袁傪は人生の成功者で李徴は失敗者ということでしょう。
しかしこの不思議な物語の最後は、なぜかそうした悲壮感とは少し違う印象が残ります。
もし最後に李徴が死んでしまうのなら話はまったく違うでしょうが、李徴はなにか吹っ切れたように、月に向かって2~3声大きく吠えて姿を消すのです。おそらく今後も虎として逞しく生きていくつもりなのでしょう。ある種の清々しささえ感じるようなエンディングです。
一方で、人間社会のしがらみの中で、これからも様々なことを乗り越え生きていく袁傪が、そう楽な立場であるようにも思えません。
仮に、もし李徴の詩歌が世に認められていたとしても、人の世で認められ続けるには純粋な芸術性だけでやっていける世界ではないでしょう。だとすると、李徴の性格ではいずれにしても難しく、虎になったのは必然、最後に妻子の心配も友人に託して、自分はこれで良いと決意したかのようにも思えてきます。
葛飾北斎の「月見る虎図」の優しい目が意味すること
葛飾北斎は、説明の必要もない画業の天才です。富嶽三十六景シリーズが特に有名ですが、人物画も動物画もたくさん描いていて、この人に描けないものは無いといっていいような画家。
そんな北斎の最晩年の肉筆画がこの「月見る虎図」です。何と言ってもその恍惚とした表情が特徴ですよね。虎がこの上なく静かで穏やかな気持で空を見上げていることが想像できる絵です。
北斎の絵ではなぜか虎はだいたい優しい目をしています。龍や獅子、鶏などはキッと睨むような怖い目をしていますから、眼光鋭い虎を描けなかったわけではありません。なぜこんなに優しい顔をしているのでしょうか?
きっと虎は孤独の象徴、山野に独りで生きるモノの象徴なのでしょうが、その虎が月を見上げるときにこんな顔をするのだろうと北斎は考えたのではないでしょうか。
幸せでも不幸でもなく、ただただ、見上げた月の美しさに心を奪われている喜びがそこにあるだけ・・・。過去の栄光や未来の希望ではなく、今この瞬間の美しさを仰ぎ見ている孤高の獣を北斎は描きたかったのではないかと思います。
北斎のこの絵と中島敦の「山月記」とは基本的に関係ありませんが、僕はこの話を読むとついこの「月見る虎図」を思い出してしまうのです。そして、虎になった李徴が北斎の虎のような表情で月を見上げているような気がして、なんとなくホッとするのです。
さて、そんなトミタが脚色し演出する「山月記」、これまでのイメージとはちょっと違った印象が残る作品に仕上げたいと思っています。ご覧いただければ嬉しいです。
語り劇の終演後には、群馬県の演劇界を牽引する演劇プロデューサー中村ひろみさんと、アフタートークセッションも予定しています。こちらもお楽しみに!
オンラインでアーカイブ視聴もご用意しますので、前橋まで来られないという方もぜひ。
とみたつよし
文学ライブ 語り劇
小河知夏劇場 脚本・演出
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